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鷲峰山高台寺圓徳院 祈祷開眼 豊臣秀吉公の三面大黒天(原寸大複製像)

商品コード : T00092
価格 : 39,800円(税込)
ポイント : 1,194
数量
 
サイズ(約)
本体(台座含む):高さ165mm×幅142mm×奥行100mm 重量380g
ご注意
少量ハンドメイド生産品につきサイズ・重量には誤差があります
素 材
ヒノキ
納 期
3〜5日
付属品
圓徳院開眼供養(依代として木彫像×1)、圓徳院のお札×1式


商品番号 T00092
商 品 名 鷲峰山高台寺圓徳院 祈祷開眼 豊臣秀吉公の三面大黒天(原寸大複製像)

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秀吉公の菩提寺に伝わる、天下人を生み出した伝説の三面大黒天!

尾張の国 中村(現、名古屋市中村区)に百姓の子として生を受け、過酷でどん底のような少年時代から天下人まで上り詰めるという、日本のみならず世界史的にも稀に見る大出世を遂げた歴史的英雄、豊臣秀吉。

その出世の陰には、ある仏像との出会いがありました・・・

それこそが秀吉の菩提寺である鷲峰山高台寺 圓徳院(京都市東山区)に今なお祀られる“三面大黒天”なのです。本作品は秀吉ゆかりの“三面大黒天”のお姿をほぼ原寸大で再現した複製像です。一体一体、圓徳院にて開眼供養のご祈祷を受けており、その証として「開眼供養証明書」が発行され、さらに2枚のありがたい御札(字札、姿札)が付属します。

『三面大黒天縁起』に記された秀吉と三面大黒天との出会い!

圓徳院に伝わる『三面大黒天縁起』には次のような記述があります。“豊臣秀吉公が若い頃、三面大黒天の塑像を見て、請うて心に念じて言った。「私が、もし立身出世して、名声を天下に伝えられることができるなら微塵になれ。そうでなければ形を全うせよ」といって投げたところ、微塵となった。そこで秀吉公は、大いに喜び仏工に命じて尊像を彫刻させて、常に崇拝し、天下を掌握するに至る”若かりし秀吉は“三面大黒天”に己の命運をかけて願掛けを行い、その結果に従い自身の尊像として“三面大黒天”を彫らせ、力の糧としたのです。実際この出会いの後、秀吉の人生に四つの大きな奇跡が起こったのです。

天下人への4つの奇跡

最初の転機は出世栄達の足掛かりとなった「信長の草履取り」の逸話。二つ目は「天下の良妻ねねとの結婚」。三つ目は朝倉義景討伐の際の浅井軍の裏切り=金ヶ崎崩れの「命懸けの殿(しんがり)志願」。四つ目は本能寺の変の後、備中高松から山城山崎まで200kmの行程を僅か10日で踏破した「中国大返し」の奇跡による明智光秀の討伐です。

百姓の出である人物が成し遂げたとは到底思えないこれらの出来事は、何か目に見えない大きな力の導きがあったと思わせるに十分でした。信長やねねという稀有の人物との幸運な出会い、未曽有の危機をものともせずチャンスに変えた胆力。これこそが“三面大黒天”を信奉したことで得られた功徳と加護の賜物だったのでしょう。

三面大黒天の姿のヒミツ?強力な天部が三位一体となった合体神!

“三面大黒天”は、大黒天、毘沙門天、弁財天という単独でも強力な天部が三位一体となった最強の福の神です。秀吉は念持仏として生涯これを所持し、一仏礼拝によって三尊天のご利益を得るという秀吉らしい誠に合理的な信仰によって、強力な勝負運(金ヶ崎崩れの殿志願、中国大返しの明智光秀討伐)、ありがたい良縁(織田信長、ねねとの出会い)、そして大金運(200万石の所領と莫大な上納)に恵まれたのです。

五穀豊穣の福の神『大黒天』

大黒天はインドではマハーカーラ(大いなる暗黒の意)という戦闘神でしたが、財宝をもたらす力が強大なことから次第に各地の豪商たちの信奉の対象となり、金運の神となりました。日本に伝わった際、音が「だいこく」と通じるところから五穀豊穣の神様である大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき穏やかな容貌の福の神となりました。

必勝と財運の福の神『毘沙門天』

毘沙門天は別名 多聞天と呼ばれ、四天王の一尊として北方を守る守護神です。邪鬼を踏みつけた勇ましい姿から勝運、必勝祈願や財産を守る財運の神とされ、また子宝にもご利益があることから聖徳太子、坂上田村麻呂、楠木正成などが篤く信仰しました。毘沙門天といえば上杉謙信が有名ですが、実は武田信玄もまた金色の毘沙門天像を兜の中に入れて出陣していました。このように戦国の名将も毘沙門天信仰によって多くの戦いで勝利を収めたのです。

福徳財宝と技芸・教養の福の神『弁財天』

弁財天はインドではサラスヴァティーという川を神格化した女神とされました。水が流れるせせらぎの音から音楽の神となり、そこから広く技芸・文芸などの才能をもたらす神となりました。現在では「才」が「財」へと変わり福徳財宝を授ける福の神としても篤く信仰されています。

豊臣秀吉の「三面様」を祀る圓徳院!

北政所ねねは、慶長8(1603)年「高台院」の号を勅賜されたことを機に、夫である秀吉を祀るために高台寺建立を発願。慶長10(1605)年、伏見城の化粧御殿とその前庭を現在の下河原町に移築して移り住み、その際、秀吉の念持仏であった“三面大黒天”もお堂に祀ったとされます。ねねは77歳で亡くなるまでの19年間この地で余生を送り、その間、兄の木下家定とその次男の利房がねねを支えました。利房は、ねね没後9年目の寛永9(1632)年、高台寺の三江和尚を開基とし、木下家の菩提を弔うために居館を改め圓徳院としました。これが今日まで続く高台寺の塔頭 圓徳院の起こりなのです。